2012年2月7日火曜日

大阪市のことですが


 大阪市の教育基本条例について、市長の橋下徹氏は、自身のツイッターで以下のように述べている。大阪市民の多くはこの市長を支持し市長に戴いている。その背景には橋下氏が指摘するような多くの問題が、行政当局にあり市民の多くが忸怩たる思いでいたという事実があるのであろう。また、財政が逼迫してかなりの大手術をしないと立て直すことができない状態になっているのも事実なんだろう。

 橋下氏の弁舌には確かに聞く人をひきつけるカリスマ性がある。黒白をはっきり言い、分かりやすいということも確かである。もともとTVで知名度を上げたタレントであるので、マスメディアをたくみに利用している。小泉純一郎元総理とも共通する点がある。

 しかし、ことこの「教育基本条例」に関しては首を傾げざるをえないのである。
 以下は、ツイッターでの「教育基本条例」にかかわる橋下氏のコメントである。

t_ishin 橋下徹 
大阪維新の会の教育基本条例があれば、文科省がゆとり教育なんてバカなことをやろうとしても、地方でそれを阻止できた。教員組合が文科省と握って教員のための教育行政をやろうとしてもそれを阻止できる。
首長がトップになると大騒ぎしているが、今は文科省がトップになっての中央集権。これを変える。
18時間前 

t_ishin 橋下徹 
大阪維新の会の教育基本条例は、文科省がバカな教育方針を掲げて来ても、地方の首長や議会の方針で、自らの教育方針を貫けるようにする条例。
もちろん国全体で最低限決めるべきルールは地方も守る。しかしそれ以外は地方が独自にやってもいいじゃないか。文科省トップから首長トップに変えるのが条例。
18時間前

t_ishin 橋下徹 
もし大阪維新の会の教育基本条例があれば、文科省の寺脇さんがゆとり教育の旗を振っても、大阪はゆとり教育に反対する教育ができた。
t_ishin 橋下徹 
寺脇さんは教育基本条例に反対する。首長の独裁は許さないと。しかし彼は自分が日本全国の教育行政の独裁者だったと言うことに気付いていない。
18時間前

 如何だろうか?一つ一つのツイートにおいて、かなり大胆に言い切っているので、善良なる市民、橋下信者の目には一点の曇りも無い論理に映るだろう。しかし、どれも「勝手な仮定を立てて、自分ならばこうする。」という、「ればたら」論であり、自己完結している内容ようなので明快で矛盾は無い。しかし、事実はそれとは違うということに善良なる市民は気づいて欲しい。

 具体的に指摘しよう
 「文科省がゆとり教育なんてバカなことをやろうとしても」というくだりについて言えば、それは結果論なのではないか。第一、文科省は一度も「ゆとり教育」などという言葉は使っていない。あの指導要領が目指したものは、当時の社会情勢の中で求められていた多様な要求を最大限に取り込んだ妥協の産物なのではないか。決して、一人の文部官僚がその権限を振りかざして推進したものではないことは誰の目にも明らかだろう。

 だから、当時この改定を危惧し、反対した人も少なくは無かったと記憶している。この指導要領はそれ以前の指導要領よりも各地教委や学校の裁量にゆだねられる部分の多い内容になっていたのだ。この指導要領を「バカなこと」と橋下氏は何時認識できたか。阻止して、教育をどのようにしようというのか。それも明確になってはいない。細かに言えば、「文科省の告示」を「バカなこと」と即断しているが、その表現は下劣で稚拙でおよそ教育を論じる者の言葉とは受け止めることが出来ない。

 また、「教員組合が文科省と握って教員のための教育行政をやろうとしても」というくだりは、何を根拠にこのような妄想的な仮定をおくことができるのか」これなども、橋下氏が、物事を「誇大表現する」性癖」、ないしは「病気」であるとは思えないので、事実無根であることが分かっていながら、相手を攻撃するためにこのようなことがあったらという「あるはずの無い仮定の話を」持ち出しているのではないか。誠に悪質な攻撃の手法だ。

 橋下氏はご自分の考えにどれほどの自信をお持ちなのだろうか、また、何を根拠にそんなに自信をお持ちなのだろうか?と考えると、思い上がりも甚だしいといわざるを得ない。たった300文字くらいの中に「バカ」が2度も使われていることからも、自分は賢く、自分に賛同しないものはバカという普遍性の無い基準で他人を罵倒する、根拠の無い優越感をお持ちのようである。

 2番目のツイートではお得意の個人攻撃が出てくる。市長という権力の座にあるものが、安易に個人の名を上げて、その人が知らないところで罵倒するのはフェアではない。再度言いうが、文科省は「ゆとり教育」などとは一度も言ったことは無いのだ。結果論を、さも自分が先見性があるごとく「れば・たら」で論じて他人を罵倒するなら私にでも出来る。

 3番目のツイートでは、ここでも個人名を挙げて「日本全国の独裁者」と言い切っている。これなどは、文科省の官僚が嫌いな私にもあまり耳障りのいい言いようとは思えない。誹謗中傷のたぐいで、三流週刊誌以下の発言では無いだろうか。いやしくも、大阪市長たる橋下氏にはふさわしからざる発言といわざるをえない。こんな人物が教育を語るのは何か滑稽である。

 この御仁を喝采の元に市長に戴く大阪市民の目には「ほれためでみりゃあばたもエクボ」、「麻原教祖」を見るオウム真理教の信者状態だろうと思う。東京にいる者が余計なことを言うなと言われそうだが、こと、教育の問題をたかが市長ごときに勝手に決められることの危うさを感じる者の一人として、やむにやまれず書いたものである。

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