この方のツイッターでの発言が面白いのでフォローしています。
t_ishin 橋下徹
教育現場はやりやすい文科省が上に居る方が良い。政治家から守ってくれますから。僕みたいなトップ来たらうっとおしいでしょう。これじゃ何も変わりませんよ。昨日、読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」でゆとり教育の寺脇さんが出演されていました。
2月6日
t_ishin 橋下徹
ゆとり教育は誰が考えても失敗。うちの子どもも大変苦労している。これ、寺脇さんと言う文部官僚が主導したんです。寺脇さんは、責任を取るって言っていたけど、官僚の責任て何なのでしょうか?官僚は責任が取れない。政治家だって責任って言っても選挙で落とされるだけ。
2月6日
t_ishin 橋下徹
ただ政治家の場合には、有権者が選んだということで最後は自分たちの責任に帰着する。もちろん政治家の責任を否定するわけではないが、有権者が選んだという根拠がある。これが官僚との決定的な違い。教育論についてはどれが正しいかなんて分からない。
2月6日
ツイッターで盛んにいろいろなことを言っているが、結局橋下氏は何が言いたいのか良く分からない。
最後は「教育論についてはどれが正しいなんて分からない。」と言い放って結んでいるのだ。
自分と異なる見解をもつ人物を攻撃することにツイッターを利用しているのだろう。勿論、それによって不満の蓄積した大阪市民の支持を得ることが目的であり、子どもたちの未来を、日本の未来を憂える気持ちから発するものではないだろう。
文科省の一官僚を名指しで非難するという常套手段をここでもとっている。一文部官僚が勝手に独断で指導要領の改訂を行えるとでも思っているのだろうか。議院内閣制のわが国では官僚の上には、時の政権党の議員がその責任を取るべく大臣として鎮座しているはずだ。だから、官僚は安心してその職責を果すために日々職務を行っている。
橋下市長はあたかも文部官僚と教職員組合が癒着して偏向した教育施策を打ち出しているかのような印象を意図的に与えようとしているが、そんなことはしようとしても出来るはずが無い。施策に伴う予算は議会において決められるのだ。市議会だって常日頃から選挙で選ばれたという錦の御旗の元に、いろいろな要求を行政当局に求めて圧力をかけてくることは橋下氏も百もご承知のはずだ。
そして、その政策の当否は時を経なければ評価できないばかりでなく、多様な立場の人々評価も聞かなければ民主主義とはいえないあろう。
結果をとらえて、
「そんなバカなことをやろうとしたら私がそれをやらせない。」
というのは矛盾しているし、うぬぼれも極まれりと言いたい。
施策は将来を想定して作られるが、人の世の常で想定は100%あたることは無いのだ。10年もたてばその時代に合わなくなってくることは当然のこととして受け入れ、冷静に評価して修正すればいい。そこで、一々当時の行政担当者を非難しても何の前進も無いだろう。多分、橋下市長は自分が天下一明晰な頭脳の持ち主であるとうぬぼれていて、それと異なる見解の存する事を容認できないのだろう。もっと言えば、そういう勢力が存在することが自身の存在を否定されかねないという不安に駆られているのだろう。邪推だろうか。
橋下氏は、「地方が地方が」としきりに言うが「国は信頼できない。」「地方は信頼できる。」というのは何を根拠に言っているのだろうか。国会議員もいろいろだが、市議会議員は更にお粗末な人物も多い。市役所の職員だって、教員だっていろいろな人物がいるのだ。私には、地方の首長が橋下市長が言うように国の間違いを事前にチェックして正すことが出来るとは到底思えない。議員にいたっては、山師のような人生観をもった人物が少なく無い。議会での質問にあたり、行政当局に何を質問したら良いか聞きにくるというお粗末な議員さえいるのだ。
教育という国家の基盤とも言うべき事柄を、一市長が選挙で選ばれたという事を盾に権限を主張することに違和感を感じる。有権者は全権をあなたに委任したのではない。しかも 、責任といっても「選挙で落とされるだけ。」と言っている。これは正論だ思う。民主主義の世の中では、主権が市民にあると同時に、責任も市民が負うのだから。それだけに、選挙で「自らを選んでくれ」と市民に働きかけた責任を忘れてはならない。
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