2012年2月22日水曜日

大阪のことですが(知事のツイート2月22日)

深夜0時30分ごろから2時30分ごろに投稿されています。こんな深夜にツイッターに投稿するパワーはすばらしい。しかし、無理をしているのではないか、重要な語句の変換ミスがいくつかありますよ。気になるツイートだけ取り上げてコメントしますので、一連のツイート全てを見たければはhttp://twilog.org/t_ishin/ascを参照してください。


20日読売新聞夕刊。尾木直樹さんへ。子ども全員の底上げは重要です。しかし言うは易し行うは難し。尾木さんは、こういう言い方をして申し訳ないが一教師として一クラスを担当。僕は525校を預かっているのです。一教師の視点と、市長の視点は全く異なります。posted at 00:35:11



教育現場の考えと僕の考えがぶつかる最大の原因。僕は大阪市の子ども全体について責任を負っています。教員はとりあえずは自分のクラスの子どもたちに対する責任。さて、尾木さんからの留年制度の提案。検討に入ります。しっかり学んでいなければ留年させる。これが子どもにとって一番良いと思います。
posted at 00:37:03




だからといって、一クラスの視点や一人一人に目を向けることの要求を無視して良いことにはならない。このように、都合の悪いことは立場の違いと退けてしまうのでは結局橋下氏の目指す社会は国家や企業を存続させるために市民国民に犠牲を強いる社会と言うことになるのではないか。多くの国民は個と社会の狭間で苦しんでいるのです。橋下氏のように割り切れる人は幸せというほかありません。
「教員はとりあえずは自分のクラスの子どもに対する責任」と言って突き放す。この立場の違いを埋める努力をせず、上から目線で押さえつける手法が信用できないのですよ。
尾木氏が留年制度を提案しているとは知りませんが、子どもが一人一人異なる個性を持っていることと、可能性を考えるとき本人保護者の意に反する留年は慎重に考えるべきだと思います。留年の基準にもいろいろな意見があるでしょう。橋下氏の「一番良い」はあまりにも「強者の論理」ではないかと思います。



本日、教育委員会との意見交換があるので、問題提起します。それと尾木さん、嘘を言ってはいけません。今年大阪府の教員採用試験で合格の辞退者は12%。一割を超えたとメディアは大騒ぎをしていましたが、例年9%から10%の辞退者が出ています。posted at 00:38:46
ということは、僕が原因となった辞退者増は2%。教員の卵は大阪を避けてはいません。これは情報リテラシー。学力調査テストのB問題ですね。残念ながら尾木さんは、不合格です。posted at 00:40:32



また間違っています。10%が12%になったら20%増加ですよ。そんなことはどうでもいいけど「これは情報リテラシー。学力調査テストのB問題ですね。残念ながら尾木さんは、不合格です。」は余計なことだ。20%の増加を有意な変化と見ないのはむしろ常識的ではない。これを増加と見ないで無視しようとする姿勢が不思議です。素直に「増えたね」と言えば良いのにこの姿勢は理解できません。弱点、欠点、反対するものの存在そのものを認めたくないのでしょうか。気が小さいんですね。



産経新聞が、僕に関して記事を丹念に書いてくれているけど、うーん、僕はもっと普通だと思うんだけど。記事通りだと僕は最悪な人間だね。20日産経新聞2面。京都大学教授佐伯氏。色々主張しているけどじゃあどうするの?が相変わらず何もない。単に反対するだけ。改革には光と影がある。posted at 00:47:03






「最悪な人間」と見られている事実を否定してはいけない。別のツイートでは「自分は市長で尾木さんは一教師だから」と議論を避けているじゃあないですか。ことほどさように、議論がかみ合わないのが橋下氏に対する不信、不満、疑問、反感になっているのではないか。そして、反対する人に「やらなければ良いのか」「対案は?」と突き放す。橋下氏は新たな「提案」をしているのだから反対する人を納得させなければ民主的な手続きを踏んでいるとは言えない。不満や不信や反感を圧殺して押し切る手法は良くない。大阪市民の圧倒的支持を得たというが、支持者のどれほどが橋下氏の人間性や人生観や政治理念やこれからやろうとしている改革の中身を理解し納得していたか大いに疑問だ。ムードで投票した人も少なくないことはお分かりだろう。


影があればそれをまた改革して光に変える。この繰り返しでしか世は改善しない。佐伯氏は1990年代以来の改革論を否定する。否定するのはいいんだけど、じゃあどうしたら良かったの?何もせずに放っていたら良かったの?という問いには答えない。反対するのは楽チン。やるのは大変。posted at 00:49:24



多様で複雑な社会のありようを改革すると言うことは大変大きなプロジェクトです。数の多さ、空間的な広がり、価値観や人生観の多様性、物事の階層性、事象の時間的なずれ、情報の伝達、外的な影響などいろいろな要因が複雑に絡み合っています。大きな改革には大きなひずみがいろいろな所に生じることは避けがたいでしょう。大きな改革を拙速に進めれば社会は大混乱に陥るのではないでしょうか。それを「影」という一語で済ませるのは余りにも事が大きすぎます。
 「今のままで良いのか」と問われれば「良い」とは応えられないでしょう。「明日はよりよく」と思うのが健全な生き方だと思います。橋下氏を批判する人たちも、「今のままで良い」とは考えていないのです。しかし、ではどうすればと言う問いには応えられない。それは、ことの重みを十分に認識しているからでは無いでしょうか。もっと、部分の話を積み上げて一致点を見出してほしいものです。
 「影」があることが前提になっているなら、それが生じないように事前に手直ししておくべきです。それ以外のことは「想定外」と言うのであれば「原発」と同じです。今の補助・助成の制度の複雑さも「影」を埋めるために付加された行政の施策ではないですか。しかも、「橋下氏」のように選挙で選ばれた方々が英知を結集して作り上げてきたものです。

 首長が教育に関与すると誤った教育論を展開する危険があるとする主張を良く聞く。しかし言いたい。では、教育委員会や教員、教育評論家は誤らないのか。人間誰しも誤る。ゆとり教育が良い例だ。為政者が誤った時、国民が納得するのはどちらの誤りか。自分が選んだ者の誤りか、専門家の誤りか。posted at 02:23:15
この時間帯、漢字の変換に注意散漫。国家ではなく、国歌です。



選挙で選ばれた一人の「首長」より、議会の承認を受けた複数の「教育委員」や「文科省の官僚」の頭脳を信頼したい。橋下氏は自らを「普通」と自認しているようですがそんなことは他人が評価するものです。首長が変わるたびにころころ変わる教育目標、教育理念で有っていいのでしょうか。また、「いわゆるゆとり教育」ですが、これを「あやまり」と断じることには同意しません。歴史の評価は一定の意味を持ちますが、日本の義務教育の歴史の中で正当に評価されるべきです。こんなミーハーな教育観で一国の教育をで論じているのは、「ひとりよがり」と断ぜざるをえない。

橋下氏は、日本の国民をバカにしているのだろうか。日本全国が阪神タイガースファンになるとでも思っているのだろうか。

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